マルチェロ・リッピ

この度イタリアンネットでコラムを担当することになった。今回のテーマは監督についてだが、学生時代を含め全くプレー経験のない「唯のサッカーファン」を自認する僕が、技術論や戦術論、コーチング等についての記事が豊富な、どちらかと言うと玄人受けのするこの雑誌のコラムを担当することに対して少し気恥ずかしい思いがする。31年間イタリアでサッカーを観戦してきた事だけが取り得の僕には、正直言って監督論などと言う真面目なコラムを書く自信はない。だから皆さんには、御茶飲み友達との雑談のような息抜きのつもりで、このコラムとお付き合い願えればと思っている。

さて第1回はイタリアンネットからのリクエストもあり、イタリアサッカー界のポールニューマンこと現イタリア代表監督のマルチェロ・リッピを取り上げることにした。

まず監督にはエリートタイプと下から這い上がってきた叩き上げタイプの2通りに分けることが出来ると思う。リッピはその風貌からエリートタイプと思われがちだが、監督としての経歴を見ると結構下積みの期間があったことが分かる。このスタート地点での違いは、選手としての経歴と現役時代に所属していたクラブが少なからず影響している。例えばビッグクラブで活躍した選手なら経験如何を問わず割合早くセリエA、セリエBから監督の要請の声が掛かる確率が高いだろう。現役時代のリッピはビッグクラブでのプレー経験はなく、サンプドリア等でプレーをしていた。僕がイタリアにやって来た1974年当時のサンプドリアは、後にビアッリやマンチーニが中心となりスクデット争いに加わるようになる強いサンプドリアではなく、常にセリエAとBを行ったり来たりしていたクラブだったので、リベロとしてプレーしていたリッピのプレーは殆ど記憶に残っていない。
リッピの現役時代について調べてみると、総じて「BUON GIOCATORE」だった、と書かれている。ブオン ジョカトーレとは良い選手という意味だが、真の一流選手の場合には「OTTIMO GIOCATORE」オッティモ ジョカトーレ(素晴らしい選手)という表現を使うので、ごく平均的な選手だったという感じだろう。NチームのA代表の経験こそなかったがB代表には2度選出されている。もし現在のクラブのように当時のクラブも所属選手の登録が30人近く必要だったのなら、ユーベやミラン、インテル等のビッグクラブに所属出来ていたかもしれない。

さて84/85シーズンにサンプドリアのジュニアチームの監督として新たなスタートを切ったリッピは、幾つかのセリエCのクラブを渡り歩いた後、89/90シーズンにセリエAチェゼーナの監督に就任する。その後92/93シーズンにアタランタで8位、93/94シーズンにナポリで6位という成績をセリエAで残した後、翌94/95シーズンにユベントスの監督に就任する。このシーズンからリッピはエリート監督の仲間入りを果たすことになる。
その後のユーベでの輝かしい成績はご承知のとおりだ。

ところでリッピは名監督に分類されるのだろうか。実はイタリアでも意見が分かれるところだ。ユーベの監督として残した成績だけを見ればリッピ名監督説に異論を唱える人はいないだろう。ビアッリ、ラバネッリ、デルピエロ(若しくはR・バッジョ)の3トップを配する攻撃的な布陣をベースにして、試合中でも状況に応じてシステムを変更するフレキシブルな采配にリッピの監督としての評価は大いに上がった。リッピは6年間続いたユーベでの第1期黄金時代の後、99/00シーズンにスクデット獲得を願うモラッティ会長からの強い要望でインテル監督に就任する。しかしインテリスタ(インテルファン)達の期待を大きく裏切り、2シーズン目のシーズン中に監督を辞任する。このインテル時代の監督経験がリッピ名監督説に疑問を投げかけることになる。インテル監督として残した成績が原因と言うより、個性の強い選手達を上手く1つのチームとしてまとめる事が出来なかったことが、監督としての評価を落とす原因となった。

結局のところ監督の仕事というのは選手の能力を試合で如何に最大限に引き出させられるかどうかにかかっていると思う。その為には、選手1人1人が気持ちよくサッカーに打ち込める環境を監督が作れるかどうかが重要だと思う。インテルでのリッピには明らかにこの能力が欠けていた。インテル監督を解任された後、マスコミではリッピがユーベで成功したのは、外界からの雑音、内側からの不満を上手く処理してくれるユーベスタッフ陣の存在が大きいという意見が多勢を占めるようになる。このスタッフとは副会長のロベルト・ベッテガ、ゼネラルディレクターを務めるアントニオ・ジラウドとルチアーノ・モッジの3人のことだ。中でも選手や監督のマネージングを行なう事務所(リッピの息子もスタッフの1人)を息子に手広く経営させていてサッカー界に多大な影響力を持っている、腹芸の達者なモッジの存在が大きい。監督よりもモッジをユーベから引き抜くことがスクデットを獲得する一番の近道だと言われるのも納得出来る。リッピはインテルでの苦い経験の後、再びユーベ監督に就任し、ユーベでの第2期黄金時代を築いた事は記憶に新しい。

そしてリッピは03/04シーズン終了後にユーベと別れを告げ、Wカップドイツ大会を目指すイタリア代表監督に就任する。ご承知のとおり代表監督の役目はクラブチームの監督とは全く違うものだ。クラブチームのように戦術面を浸透させる為の時間が充分に取れない。だから代表監督として要求されるのは、代表に相応しい選手を各クラブから選出し、如何に短い期間で個性の強いスター選手達を1つのチームとしてまとめられるかという能力が必要になってくる。それはインテル監督時代にリッピが出せなかった能力だ。
そして代表選手の選出ではどれだけ公平に選んだとしても、イタリア国民から必ず抗議の声が上がる事は避けられない。それに対するマスコミの対応にも気を配らねばならない。
代表監督就任後にリッピのユーベでの第1期黄金時代の成績に影をさす出来事が起った。この当時のユーベのドーピング疑惑についての裁判で、ユーベのチームドクターに対して選手にエポを使用した形跡があるとして有罪の第一審判決が下された事だ。この判決の後、イタリアのマスコミからは代表監督を辞任すべきだという意見が少なからずあったし、海外のマスコミからも当時のユーベに対して非難の声が上がった。これらの問題について、もうユーベ監督時代のように3人の有能スタッフに頼ることは出来ない。
リッピが果たして名監督なのかどうか、これからのイタリア代表監督としての成績が評価を決定することになるだろう。


最後にリッピのことで気になる事がある。彼はイタリアサッカー界のポールニューマンと呼ばれているだけに、非常にダンディな監督だと思う。しかし試合中にTVの画面に映し出されるベンチの前のリッピは、葉巻をくゆらしているか、又は鼻糞をほじくっている事が多い。葉巻やタバコの使用はベンチで禁止になったから、これから頻繁に鼻糞をほじくる場面が映し出されるようになると思うのだ。これは夢中になっている時に無意識に出るリッピの癖なのだろうが、せっかくのダンディなリッピのイメージに傷をつける行為だから止めた方がよいと思うのだがどうだろう。 (了)