サン・ロレンツォってどんなところ?


どこにあるの?
サン・ロレンツォの中心
サン・ロレンツォはテルミニ駅の裏。ローマの古い地域にありながら、近代になってできた地方都市のような、ちょっと独特の空気を持つ地域です。

「ローマの古い地域」…と言うのは、テルミニ駅とサン・ロレンツォを分けるように残っている古代ローマの城壁からもわかります。城壁

テルミニ駅から城壁にそって下って行くと、中世になってから作られた門が見られます。さらに行くと、古代ローマ時代の門、そして最後に「マジョーレ門」と呼ばれる、古代ローマの門で最大の門にぶつかります。
実は、この「門」、門ではなくて、水道橋を支えていたアーチ二つを後世になってつないだものなんだそうです。
「アクア・クラウディア」つまり、「クラウディアの水」と呼ばれたクラウディウス帝が引いた水道橋のあとなんです。
(この水道橋の一部がサンジョバンニ教会そばの広場に、そしてコロッセオにほど近いクラウディア通りに塔のように残っていますよ。
そうそう、 アクア・クラウディアの源泉地からは今でも水が湧き出ていて、同名の水が市販されています。また、源泉地へ直接行って、持参のボトルに詰めてもらって買う事もできます。自然に発泡している水です。

地域の名前になっているサン・ロレンツォはキリスト教最初の殉教者と言われている人で、258年に亡くなった聖人です。その人のお墓だったところに、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が建てた教会があって、そこから名前が来ています。
そんなところからも古い地域だったってわかりますね。
もちろん、城壁を境に、向こう側ですから、ローマ時代は街の外だったわけです。

街の特徴は…
via tiburtina
1900年代になって、人口が大幅に増え、街が大きくなりました。
ムッソリーニの時代、街や産業の整備が盛んに行われました。
その頃に、サン・ロレンツォは職人、工員の町として発展しました。

工場がたくさんありました。ホテル・アテネオもかつては薬品工場だったんですよ。ホテルの裏には貨物列車を引き入れた駅がありました。

そして、そのせいで、悲劇が起こりました。
サン・ロレンツォは、 第二次大戦で、ローマで唯一連合軍の爆撃を受けたところなんです。
1943年7月19日、サン・ロレンツォ地区はくまなく爆撃され、一般市民2000人弱が犠牲になりました。
街の中もかなりの打撃を受け、サン・ロレンツォ教会も建て直しを余儀なくされました。
犠牲者の名前を彫った石盤をおさめた公園がサン・ロレンツォの中心にあり、今でも年に一度、この日の記念祭をやっています。

そして、今…
多くの工場があったときは、高級商店街とは違う、生活に根ざした活気にあふれた町だったのだろうと想像します。大都市ローマにありながら、今でも、ここは人間のサイズで動いている…という感じを受けます。

via dei volsci のグラフィティ
下町の粗野な感じの第一印象が、何度も訪れるうちに、気取らないありのままサイズの人間関係…だとわかってきます。この地域に住む人、商売を営む人、の「同郷意識」が、ここに足を踏み入れる人を包み込む感じです。

ローマ大学
そして、ここはローマ大学に隣接しています。

下町で観光スポットから外れている…つまり家賃が安い。
そんなところから、学生が多く、昨今は若いアーチストが集まって来ています。

工房とショップが一緒くたになったところでオリジナルを売る小さい店があちこちにあります。
戦争前の職人と工員の「労働の町の活気」から、若いアーチストの「認められてもられなくても、これがやりたいんだ!」と言うポジティブなクリエイティブな活気に変わりました。

絵画 1900年代の始めに大きなお菓子製造所だった所が、画廊になっています。
(建物の壁に、CEREREという当時のお菓子製造会社の名前がそのまま残っています。)
デザイン事務所や、趣向を凝らしたレストランのオーナーもアートに興味があって、時折、個展の場所になったります。
ただ通り過ぎても、サン・ロレンツォの空気はわかりません。
ぜひ、立ち止まって、店を覗き、中に入ってみてください。
レストランで、バールでなにか飲み食いして、オーナーやお客さんと関わってみてください。
サン・ロレンツォがあなたを受け入れているのを感じるはずです。

手作りバッグ屋さん
おひげのオリジナルバッグ屋さん

べjyタリアンレストランのオーナー
はにかむレストランオーナー